イノベーション基地 パロアルト研究所が日本事業を加速 「ユーザー中心のイノベーションへの転換を支援」

イノベーションとの出会い

佐々牧雄 さん: 父流イノベーションからユーザ中心のアプローチへのシフト

私の父は、いすゞ自動車のエンジニアでした。着ている服の前後、裏表が逆であっても気づかないほどの変人でしたが、ひらめき型人間で、自動車関連の数多くの特許を保有していました。私が幼少のころ、特許取得の報奨金を嬉々とし持ち帰ってきた父のことを、今でも覚えています。また、水陸両用車「なぎさ」の開発に取り組み、東京モーターショーに発表したことも印象的でした。このような父流イノベーションが、私にとっては最初のイノベーションとの出会いでした。

父の影響もあり、革新的なものづくりを学ぶために、千葉大学工学部、工業意匠学科に入学しました。卒業後入社したNECでは、デザインや商品企画を担当しましたが、その時の貴重な経験があります。それは、「PCエンジン」という家庭用TVゲーム機の開発時のことです。同市場では、任天堂の「ファミコン」が先行していたため、NECのエンジニアは、CD-ROMや通信機能、専用プリンター、タブレットなど、当時ゲーム機に搭載するには画期的であった技術により巻き返しを図りました。しかし、結果として成功はせず、残念ながら市場から撤退することになりました。この時に感じたのは、技術中心のイノベーションは必要ではあるけれど、ユーザー中心のイノベーションの大切さです。振り返ると父流イノベーションは、技術中心のイノベーションであったと言えます。

これらの経験や体験をふまえ、ユーザー中心の視点に基づく商品企画の在り方を模索していたとき、日産自動車系列シンクタンクの株式会社イードから声がかかり移籍しました。当時、日産自動車は、商品企画で苦しんでいたのですが、外部に商品企画の機能を持たせることで、新風が流れ込み、新しい視点で商品企画も生まれやすくなるだろう、という狙いでイードが設立されたわけです。

イードでは、ユーザーの声を、直接聞けるようになったことが貴重でした。最後の4年間はユーザーエクスペリエンス部の初代部長を務めました。この時に、ユーザーの声を聞くことも大切であるが、そのアプローチでは、様々な制約により、潜在的な意識を引き出しにくいことがあることに気付きました。そして、ユーザーの行為、行動を観察し、ユーザーを深く理解するアプローチの大切さを学びました。

このアプローチをさらに探求するために、年齢的に50歳を過ぎての挑戦としては無謀ではありましたが大学に戻り、3年間の研究を行った後に博士号を取得しました。その縁で同分野ではパイオニア的存在であるPARCへ移籍することになり、現在に至っています。

アキ大橋 さん: リアルからバーチャルな空間をカバーしアジア発イノベーションへ

駅や飛行場の天井が高いのはなぜだと思いますか?諸説ありますが、一つの答えは、旅立つ人に「ここから偉大な旅がはじまるんだ」という期待感を与えるためです。私は大学時代にこのようなテーマに関心を持ち、建築物中の光がユーザの体験に与える影響について、デザインと構造計算の両面から研究しました。晴れて大学を卒業し、サンフランシスコの建築会社に就職しました。しかし、大型建築プロジェクトは何年もの歳月と大規模な予算がかかり、遅々として進みません。

一方で、1990年代末期から、事業展開の速いインターネット関連企業が注目を集めていました。当時の私は社内システム管理の実績もあったので、インターネット広告技術のベンチャー企業Mediaplexへ転職しました。そこで、ユーザーの動きを捉えて最適な広告を配信する技術を事業化し、IPOからバブル崩壊に至る、栄枯盛衰を経験しました。そこで事業創造の面白さに開眼しました。この経験を理論化するために、カーネギーメロンのMBAに進み、システムではなくユーザーを中心にした事業創造手法を修得するに至ります。

その後、私の進路の鍵を握ったのは“日本”です。私の両親は日本人で、自分のルーツを無視するのはもったいないと思い、サンフランシスコで日本語を勉強し直しました。カーネギーメロンでも日本人と積極的に交流し、卒業後は日本進出を計画していたCognizantに就職しました。ところが、会社が日本進出を中止したため、MBAの友人と起業し、次いで投資元のngiで他の投資案件も多数手掛けました。

しかし、他社への投資だけだと物足りません。より事業の現場に近いところでイノベーションの創出に携わりたいと考え、日本に注力していたPARCへ移籍しました。最近は、シンガポールなどアジア全体を統括しています。

オープン・イノベーションの取組み

PARC

PARCの歴史

PARCは、1970年にゼロックスの中心的な研究所として設立されました。初期のPARCの発明であるレーザープリンターはビジネス的には大成功をおさめました。一方で、コンピューターネットワークの標準規格Ethernetや電子出版技術(PDF)など他の革新的技術は、 PARCで産声を上げたものの、社内の事業としてではなく、社外の事業として大成しました。Ethernetは、 ゼロックスが特許を開放してデファクト化を推進しつつ、 PARCの研究者が独立し3Com社として成功を収めました(同社はNASDAQ上場後、HPが買収)。PDFは、 PARCの研究者が独立しAdobeとして成功を収めましたという経緯もあります。

このような流れを受け、ゼロックスの主力事業という枠組みにとらわれず、オープンなアプローチを促進するため、PARCは、独立採算の研究所として2002年に株式会社化されました。今やゼロックスはもとより、ゼロックス以外の企業、組織、政府とのコラボレーションをしながら研究開発を行っています。

PARCのイノベーションへのアプローチ:エスノグラフィ(民族誌学)の活用

PARCは、人間の行為・行動をありのままの状態で観察・理解することで研究を行う“エスノグラフィ”を、技術やサービスのイノベーションの分野に、どこよりも先駆けて導入しました。エスノグラフィを使ったアプローチは、ユーザーの発言だけに頼るのではなく、実際の行動や体験に関し、体系的なデータ収集方法と深い分析を組み合わせることで、微妙なニュアンスも含めたユーザーの全体像を明らかにします。

例えば、シニア自身やその生活を理解するために、シニアのお宅を訪問し、朝の犬の散歩から、ショッピングセンターでの買い物、デイケアセンターにおける様子まで様々な生活を観察します。その結果からシニア向けの技術的あるいは、サービスのイノベーションの原石を見つける活動がその一端にあたります。

こうした背景があるからこそ、PARCはイノベーションを生む効果的な方法を推奨することができ、そしてユーザーに受け入れられるイノベーティブな製品やサービスを開発する支援ができると自負しています。

代表的なオープン・イノベーションの事例

PARCはオープン・イノベーションを最大限利用し、新しいネットワーク・アーキテクチャContent-Centric Networking (CCN) の研究開発を行っています。CCNは、年々増加するコンテンツそれぞれにIPアドレスを付与することで、コンテンツ配信におけるスケーラビリティ、モビリティ、セキュリティに関する課題を解決する画期的なソリューションです。

PARCは、ネットワーキングのエコシステムの中のリーダ的な組織と協業し、CCNソリューションの市場化を目指してきました。CCNの基本特許はPARCが取得していますが、周辺領域を開放していて、コンソーシアムに所属する他企業の方のメリットがあるような枠組みにしています。ところが、コンソーシアムに参加する企業は、欧米勢が多く、特許などの権利関係に目がゆきがちである日本企業の参加は2社に留まります。日本企業がNIH症候群(英: Not Invented Here syndrome)いわゆる自前主義に囚われ、世界標準から取り残されつつあるのは、我々としては歯がゆい所です。

astamuse.com のユーザーへメッセージ

佐々牧雄・アキ大橋

ユーザーの生活に寄り添い、ビジネス的に納得できるイノベーションの構築を

日本のビジネスは、低迷から徐々に回復しています。この流れを加速するためにも、まずはリスクヘッジを兼ねて、大規模な投資がかかるところからオープン・イノベーションを試行してみることも有効だと思います。例えば、電気自動車の技術開発をするとき、基盤技術で競っても仕方ないと思われます。それよりも、得意な分野において、どのマーケットで、いつ、誰と協業するかが重要だと思われます。読者の方が相手探しをする場合にはastamuseを活用するのも、ひとつの方法かと思われます。

PARCは、ビジネスディベロップメントを専門とするチームのあるユニークな研究所ですが、そのチームがオープン・イノベーションの協業相手を探す役割を担っています。また一方で、彼らがパートナーを見つけられない研究テーマであれば継続する価値がないと経営的に判断し、研究の継続を中止することもあります。ユーザーの生活に寄り添い、ビジネス的に納得できるイノベーションを構築できてこそ、その研究価値が発揮されると考えています。

(インタビュー 2013/09/18)

プロフィール

佐々牧雄

Makio Sasa 佐々牧雄
  • パロアルト研究所 日本代表
  • シニアUXリサーチャー 博士(工学)
    ユーザーエクスペリエンス・デザインの研究者
  • 1984 国立大学法人 千葉大学工学部デザイン学科卒業
  • 1984 日本電気デザインセンターにて工業デザイナー
  • 1991 日産自動車系列のシンクタンクの株式会社イードにてデザイン・マネジメントコンサルタント
  • 2009 千葉大学大学院工学研究科において博士(工学)を取得
  • 2012 パロアルト研究所 シニアUXリサーチャー。現在は、エスノグラフィを基軸としたイノベーション関連の研究・調査を行っている
  • 千葉大学、拓殖大学、筑波大学、産業技術大学院大学などにて非常勤講師を勤める
  • 所属学会:日本デザイン学会、日本人間工学会、ヒューマンインターフェース学会

アキ大橋

Aki Ohashi アキ大橋
  • パロアルト研究所
    Director of Business Development
  • 米国生まれ米国育ち
  • 米国にて、インターネット広告技術の会社 Mediaplex, Inc.(2001年10月ValueClick, Inc.より買収) やITコンサルティング会社 Cognizant Technology Solutions, Inc.など、情報技術に関する業界で5年以上の実務に従事
  • 2005 来日し、L.E.K. Consultingの日本支社で、経営戦略コンサルタント
  • 2006 動画共有SNS運営会社、(株) タイルファイルにて取締役
  • 2007 株式会社ngi groupにて投資事業本部パートナー
  • 2012 米PARCにてビジネスデベロップメント日本担当
  • テキサス大学建築学部及び建築工学部卒。カーネギーメロン大学院経営学修士課程 (MBA) 卒

所属

パロアルト研究所

Palo Alto Research Center Incorporated

Palo Alto Research Center Incorporated

設立 1970年にゼロックス社の研究部門として設立。2002年に法人化
所在地 - 米国本社 -
3333 Coyote Hill Road Palo Alto, CA 94304 U.S.A.
- 東京オフィス -
東京都千代田区丸の内1-5-1新丸ビル10階 日本創生ビレッジ
オフィス8
CEO スティーブ・フーバー
Steve Hoover
社員数 研究員約180名
スタッフ約80名
特許数 約2500件

オープンイノベーションの事例

サムスンとの取り組み

サムスンとPARCは、5年間にわたり、ハードウェア、ソフトウェア関連の協同プロジェクトにおいて関係を築いてきました。

両社は、未来の通信・ネットワーク技術の分野における最先端技術の発展を目指しています。

PARCは、サムスン綜合技術院(SAIT)のパートナーに名を連ね、デジタル・コンバージェンスの活動をリードするという同社の目標を達成する支援をしています。

関連する法人

富士通との共同研究・開発

富士通とPARCは、ユビキタス・コンピューティングやその他の技術やサービスに関し、複数年にわたる共同研究・開発をする為のプロジェクトを行いました。

プロジェクトにおいてPARCは、同社のオペレーションや文化にエスノグラフィの手法を取り入れるためにノウハウを提供、同社のシステムデベロップメント部門内にソーシャル・サイエンスセンターを設立することに結びつけました。

現在同社は、クライアントのビジネスプロセスを可視化し、要件定義を行うためにエスノグラフィのフィールドワークを実施しています。フィールドワークの実施にあたり、PARCが富士通のエンジニアに対してトレーニングを行ったことによる側面が大きいと言えます。

関連する法人

Thinfilmとの協業

ThinfilmはPARCと提携し、ThinfilmのメモリとPARCのプリンテッドTFT技術を組み合わせた次世代のプリンテッド・メモリを開発しました。両社の得意分野において互いに補完し、アプリケーションの開発を目指しています。

両社は、有機CMOS回路を使った世界初の不揮発性プリンテッド・メモリのプロトタイプを構築しました。これは、「Internet of Things(モノのインターネット)」の要素でもある、低コスト、低エネルギー、フレキシブルなユビキタスデバイスの量産に向けた大きな出来事だと言えます。

両社は、当該技術によりFlexTech Allianceのイノベーション・アワードを受賞しています。

Top Innovatorsトップイノベーターへのインタビュー