大型産学連携で超高速光伝送システムの基盤技術を確立「次の世代は未開の地に飛び出し、前提条件の再考を」

イノベーションとの出会い

エレクトロニクスが未来を作る

小学校のときに親の転勤で、石巻から東京へ転校してきました。都会にはなかなか馴染めなかったのですが、4年生の頃から理数系が得意になり、居場所を確保できるようになりました。

東京大学に在学していた1970年代は、“エレクトロニクスが未来を作る“という雰囲気がありました。中国系アメリカ人の物理学者チャールズ・カオが、光ファイバーに関する画期的業績を上げ、後にノーベル物理学賞を受賞しました。米国のベル研究所では、位相の揃ったコヒーレント光を放出可能な新型半導体レーザーが開発されました。インターネットの基礎が確立されたのもこのころです。大学の先生も、すごいぞ、すごいぞと興奮していたことが印象的です。

光の究極的な性能限界を追求して

そのような時代背景もあって、私も電気・電子を専攻しました。修士をのりこえるのがつらく、今でもうなされますが、1979年大越孝敬先生のもとで講師になり、光通信の基礎研究を開始しました。当時実用化されていた光ファイバ通信システムでは、光の強度変調のみが利用されているにすぎなかったのですが、光の究極的な性能限界を追求するために、位相変調に着目したコヒーレント光通信の基礎的な仕事を行い、一時注目を浴びました。

しかし、そこから実用化までの道のりが遠かったですね。90年代には国内大手通信会社がフィールドテストをやりましたが、多値変調や分散補償などの高級なアプリケーションのニーズが見えませんでした。当時主流だった強度変調で十分ということで、各社が商業化を断念しました。

オープン・イノベーションの取組み

2004年に試作されたコヒーレント光受信器(菊池研究室提供)

熟成期間

米国のベル研究所で1年間コンサルタントとして過ごした後、帰国して独立しました。しばらくは、科研費をとり、少人数であまり実用性を意識せず,興味のおもむくままに研究をしました。なかなか成果はでないけれども、一番楽しい時期でもありました。

コヒーレント光技術とディジタル信号処理技術の融合

とはいえ、コヒーレント光の研究を完全に諦めたわけではありませんでした。90年代に研究の第1フェーズが終了した後も、周辺技術の開発が揃うのを待ちながら、3~4年に一度は挑戦を続けました。その結果、2004年頃に果実を収穫するに至ったのです。具体的には、送信用レ-ザーとは独立したレーザーを受信端におき、ビート成分に含まれる信号と雑音を分離するためのディジタル信号処理回路を受信器に実装することにより、アナログのコヒーレント光技術と最新のディジタル信号処理技術をスムースに融合することを提案しました。

ところが、当初は、世界中で「またコヒーレントか・・・」という冷ややかな反応でした。国際会議や論文で2度も落とされたのです。 (写真:「2004年に試作されたコヒーレント光受信器」 菊池研究室提供)

コヒーレント光通信に白羽の矢

流れを変えたのは、北米最大の光通信技術関連国際会議:OFCで,ポストデッドラインペーパーが採択されたことです。当時、米国では、通信需要が急速に増加し、100ギガビット級の超高速光伝送がテーマになりつつあったところ、その解決策としてコヒーレント光通信に白羽の矢が立てられたのです。こうなると米国の動きは速い。私は直接には関わりませんでしたが、規格化・標準化が迅速に進みました。また、大規模のディジタル信号処理(DSP)回路の開発費が膨大であるため日本勢が二の足を踏んでいたのに対し、カナダのノーテル・ネットワークスがプロトタイプの開発に成功しました。

これが日本勢の危機感を煽りました。総務省の委託研究の枠組みにおいて、NTT研究所の萩本和男さん(現:NTTエレクトロニクス社長)が旗を振り、日本電気・富士通・三菱電機という大手3社がそれぞれの強みを結集しました。各社とも研究者としては顔馴染みなので、組織を横断した研究を推進でき、100ギガDSPを具現化することに成功しました。これは、日本の大型オープン・イノベーションとしても画期的であったと思います。

astamuse.com のユーザーへメッセージ

私が若いころは、どの方向に進めばいいかが明確でした。しかし、今は何をすればいいのか判断するのが難しい時代です。こと通信分野の技術革新は飽和気味で、今の延長上で1000ギガビット超に目標を設定しても、技術的ハードルはより一層高くなり、投資対効果の面でも達成は困難です。

このような前例のない時代においては,技術を何に使うのかに知恵を絞ることが重要です。僕らの世代は物理から出発しているため同じメンタリティに陥りがちだったのですが、次の世代はそこから脱却しなければなりません。インフラだけで頑張る時代は終わりました。帯域を拡大する技術開発だけでなく、帯域制限から解放されたところで生じる新しいアプリケーションやビジネスモデルも考えるべきです。そして、海外のコンペティターでさえも、真っ向から競争するのではなく、巻き込み活かしていくことが求められています。

そのためにも、専門外の多様な情報ソースに触れ、未開の地に飛び出してみて下さい。そして、訳の分からないところでも生き抜き、自分の責任で「こっちにいく」と言い切れるようになって欲しいと思います。 一人一人がこのようになれば、強くて新しい日本が復興すると期待しています。

(インタビュー 2013/09/12)

プロフィール

光の可能性を最大限に発揮

菊池和朗

Kazuro Kikuchi 菊池和朗
  • 東京大学 大学院工学系研究科教授
  • 1979 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了
  • 1979 東京大学工学部専任講師
  • 1984 東京大学工学部助教授
  • 1986 Bell Communications Research コンサルタント(~1987年3月)
  • 1994 東京大学工学部教授
  • 1997 東京大学先端科学技術研究センター教授
  • 2007 東京大学 大学院新領域創成科学研究科教授
  • 2008 東京大学 大学院工学系研究科教授

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オープンイノベーションの事例

100ギガビット級の超高速光伝送システム技術

第11回産学官連携功労者表彰 内閣総理大臣賞 受賞

光送受信機を用いた100ギガビット級光伝送システム

ICT利活用の増進に伴う通信量の急激な増大に対応するための通信ネットワークの高速大容量化が喫緊の課題となっています。

この課題を解決するために、総務省の委託を受けた日本電気(株)、富士通(株)、三菱電機(株)は、 東京大学菊池和朗教授が世界に先駆け原理実証したデジタルコヒーレント技術を用いて、 NTT 研究所の強いリーダシップのもと、 100 ギガビット光伝送システムを実用化開発し、海底ケーブルシステムをはじめとする装置として実用導入しました。

内閣総理大臣賞 「100ギガビット級超高速光伝送システム技術の研究推進及び成果展開」別ウィンドウで開く

Top Innovatorsトップイノベーターへのインタビュー